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コラム

1.価値創造経営と改革
 価値創造は、今や時代の要求である。先進国からのキャッチアップを効率的に実践するための仕組み、制度、体制が疲労破壊をしているにもかかわらず、改善、改革の名の下に微修正を行い、当面の辻褄あわせをしている。これが、わが国の長期的視野にたった発展を大きく阻害していることは識者の常識であるが、国、企業、教育機関においてまだまだ進展が見られない。そこで、小生は価値創造の視点にたった改革の方法論を、コラムの形で情報発信をしようと考えた。以下、不定期ではあるが、目にしたこと、耳にしたこと、遭遇したことなどを価値創造または顧客価値の視点で語ってみたい。


2.顧客価値と価値指標
 価値創造経営を実践するためには、顧客価値指標の活用が必要である。顧客価値指標とは何かの詳細は、私の論文、著書を参照していただきたいが、主たる目的は、顧客が何を欲求しているかの判断指標の明確化と、それを組織や個人の目標として一体化するというものである。顧客の価値をたかめるために、企業は、組織は、個人はどう貢献すべきか、貢献したかを明確にし、これを判断指標にして経営を遂行する方法論である。このことは、企業の従業員における人材価値や、株主など投資家に対する価値も、同様に議論されよう。

3.行政と顧客価値
 政治が混迷している。国会の審議結果、判断が不正確、不明確であるために、民主である基本視点が揺らいでいる。民(顧客)が何を欲求しているかが把握されていない状態で意思決定がなされている。国会議員をはじめ様々な地域の議員たちは「民」の代弁者であると常に公言して憚らない。しかし、民が納得して初めて代弁者となりうる。そのためには、納得させる説明が必要である。執行内容を審議するプロセスでの充分な説明に手を抜いていて「民」の代弁者顔するのには、いささかへきへきするものがある。このことは、価値創造論の視点における「顧客」とその顧客が「期待する価値認識」が思考過程(分析と構造化)から完全にぬけているためであろう。

4.大学教育と価値
 10年余大学で教鞭をとっていた。その前は、企業において改善、改革活動の推進を担当していた。これらの経験を踏まえて今日の大学運営を多少考察してみたい。まず、大学には組織生産性という概念の定着がなかなか難しいようだ。教授会は何のためにあるのか、授業では学生に、今、何を伝えるべきか、大学における改革とは、などなどゼロベースで問い直さなければならない事案が非常に多い、にもかかわらずである。 ここでも価値創造論を踏まえて、大学における顧客とは誰か?大学の目的は、その目的に今の手段が最適だろうか、大学の価値向上のために、今、何を思考すべきか、実践すべきかの議論が待たれる。

5.ムダとは
 
道路特定財源の問題が、今日的大きな関心事である。ここでよく出てくる言葉に、「ムダなモノは削減」し、「必要な道路をつくる」ための財源を確保したいとする言葉だ。しかし、ここで言われるムダとは誰にとってのムダか、ここで言われる必要な道路とは誰にとってのものか、の議論が抜けている。つまり、顧客は誰かと言うことと、その顧客が期待するものは何か、その優先順位は、の議論、価値工学の基本的思考が欠落しているように思われてしかたがない。結果的に税金は、国民の視点でムダ使いされてしまう。国土交通省が道路特定財源で購入したとするマッサージチェアも、誰かにとっては必要であったかもしれないし、予算を使い切る、とする必要性だってあるのだ。ムダ、必要の概念はそれを評価する人間で決定され、その使途に関する理由付けはなんとでもなると言うことだろう。価値工学的視点に立って国会議員は議論してもらいたいと切に要望する。 「ムダ」と言う概念で税金をマネジメントすることは意味を成さないと思うのだが。拙著のムダの概念を参考にしていただき、ムダと言う思惑で税金を適正化するのではなく、価値概念を踏まえて税金の活用を考えてもらえると国政も一歩前進すると思うのだが。

6.増税を考える
 東日本大震災などの復興財源などを賄う臨時増税、社会補償のための消費税のアップ、財政規律の保持などを論点とする増税の方向が具体的に動き始めた。表面的にはムダを削ってと言っているが、ムダの議論は飛ばしてである。国会議員がムダを指摘しても、官僚によるムダでない理由を提示されると、業務の詳細が判らない者(国会議員など)にとっては納得せざるを得ない。結局、ムダの削減は茶番劇に終わり、国民に対する増税のみが発生する。現有する財源を優先順位をつけて配賦し、財源が足りなくなったら、それは我慢してもらう発想にならないものか。この発想にならないと、議員の削減や、公務員の人件費削減、公務員宿舎の凍結など国民感情としてのムダは永久に無くならない様に思うが。税金で賄われている既得権益を誰しも手放したくはないし、それなりの理由付けは誰しもできるものである。 

7.リーダーシップとは
 橋下大阪市長が脚光を浴び、大阪維新の会の動きが注目されている。かたや総理をはじめ大臣や国会議員の意思決定の稚拙さが目に付き、国の行く末、すなわち国民の生活がどんどん壊れていく感じがする。一言で言えばリーダーショップの欠如であろう。
リーダシップ力、すなわち権限の行使は、その背後に責任を取る覚悟が必要である。逆に言うと、能力的に責任の取れる範囲でしか意思決定をしてはいけないのだ。そのことを踏まえて意思決定のための情報を収集するのがリーダのリーダたる所以である。
意志決定の都度、その責任の取り方をリーダーは意識すべきであるのだが、今日の政治を動かす人にはその気配が感じられない。  腹の据わった(責任を取ることを意識した)政治家の出現に期待するのだが。
橋下市長の出現はそれを期待させる要素を秘めているかもしれない。つまり、あらゆる意志決定は責任との裏腹の関係にあり、このことは、総理でも、国会議員でも、一般の市民でも常に同じである。良い意思決定が出来るかどうかは、背後にある責任の重さを充分に認識し、情報収集を実施するかどうかであろう。 どの組織にもすばらしいリーダーがいない。または顕在化されていないと考えるのは早計かも知れないが、一面では事実である。
 図らずも組織のリーダーとなった者は、自分の地位や資質に慢心することなく、管理技術を学ぶべきである。適切な意志決定をするための一里塚はここがスタートであると考える。管理技術は何を情報収集し、どの評価基準で、どのように判断すべきかを、提示してくれるのだから。
 意思決定と責任と情報収集力はその大きさにおいて、三者が正三角形の状態ではじめて良い意志決定がなされる。このことが出来るのは管理技術をいかに活用するかに掛かっていると思うのだが。

8.民主主義とは
 
野田政権の迷走ぶりに国民の大多数は困惑し、戸惑いを感じている。いなむしろあきらめの境地かもしれない。 我々は自分の意見、主張を代議士を経て国政に反映し、自分たちの生活を豊かにしてもらう仕組みで成り立っている。これが議員制民主主義の原則である。
 個々人の意見、主張を国政にどう反映するかは、時に、多数決の論理に従う。このプロセスに、今日の政局の混迷があると考える。代議士は自己を無にして有権者の代弁をすべきだが、悲しいかな、人間ゆえにそうは行かない。否、むしろ代議士は我欲を塊化しているように思える。政権を維持するために民意を置き去りにしている昨今の状況は、まさに、これである。政治家の質に期待すことは無理であると言いたくなるが、では代議士制度の民主主義においてどうすればよいのであろうか。この解決策は相当難しいとは思うが、わたくし流に発言すると、政治家候補者の主張を定量化させることとそのプロセスチェックではと考える。民主主義は何十年、何百年たっても進化しないとは、政治学者の主張であるが、しかし、様々な主張点の定量化は、多少づつでも変化するはずと思っている。顧客価値を定量化する方法を考案し、それを実践していくプロセスで同様の進展があったことを踏まえての発言である。

9.保守と革新
 政治の世界でも企業の世界でも保守派、革新派と色分けして派閥または政党の特色を表現している。だが、保守、革新の定義はなんだろう。保守とは、「旧来の風習、伝統を重んじ、それを保存しようとすること」、革新とは「旧来の組織、制度、習慣、方法などをかえて新しくすること」と一般には定義されている。政治的にはどうか。
 自民党は保守であり、民主党は革新であるとは一時期よく言われた言葉である。今日の各党にその面影は感じられない。日本維新の会はどちらだろう。企業においても同様の議論がなされる。
 このことを整理するのは、時代変化を踏まえて考察しなければならない。つまり、パラダイムシフトに追従して社会や企業構造を変化さて行くことを良とすることと、パラダイムシフトを先読みし、先行的に手をうっていくことを良とすることに分けてみることであろう。前者を保守と呼び、後者を革新と称するのはどうだろうか。
 この定義のもと、時代変化の微分値がどの程度かをベースに、保守か、革新かを決定し、行動する方式で分類することを提言したい。とすると、今日の時代微分値を推定し、わが党は、わが企業は保守で行くか革新でいくかを主張すれば、国民、企業人は自分にとっての変化感覚と合致しているか、否かを評価しやすいのでは考える。良い政治、良い経営の評価軸として検討してみたいと思っている


10.体制維持と改革(体育系教師による体罰)
 高校のバスケット部で主将をつとめていた学生が自殺をしたことで、体育系の体罰問題が脚光を浴びている。他の高校、大学でも類似の問題が指摘されている。全日本女子柔道の監督も同様の話が発生しているようだ。マスコミで報道されたために、”ひどい監督もいるもんだ”“指導で体罰は絶対いけない”など「対岸の火事」的思考をする輩も多い。 
 ちょっと待って欲しい。この種の内容はその高校の、その監督だけの問題だろうか。監督が、自分が担当する学生や選手を指導する方式として体罰を行うことは、社会が容認してきたことではないか。このようにしてその監督に強いチームを、強い選手の育成をゆだねてきたはずである。でなければもっと早くに社会問題となっていたはずである。
 私は、現行の監督対選手がこのままでよいと主張するつもりは無い。ただし、我々は、この顕在化された問題を対岸の火事としてみるのではなく、現行体制の移行を、時代背景を踏まえて語らなければならないと思う。
 つまり、高度情報時代は、個々人(指導者も選手、学生も)が自分の立ち位置を認識し、かつ、主張できる環境が整ってきているのだ。時代が大きく変わった今、各自がそのことを深く意識し、今日までの、各自の行動をゼロベースで検討し、顧客価値の視点で再構築する発想が必要であろう。自分の仕事の顧客は誰か、その顧客の価値をアップするために自分はどのような手段が最適と考えるか、の視座でこの問題を考えてみることを期待したい。従来の延長思考ではなく


11.シニアマンションへの期待とその対応。

 日本は、平均寿命、高齢者数、高齢化のスピードという三点において、世界一の高齢化社会と認識されている。結果として、社会の歪?現象がいろいろな形で発生してきた。認知症人口の増大、独身高齢者(伴侶の死別も含めて)、老人医療費の増大,老人ホーム不足などが顕在化してきている。この変化は、高齢者を重視した施策を様々の分野で打ち出さなければならなくなり、現役労働者である若年・中年層よりも、高齢者を優遇せざるを得ないという政治状況になりつつあることも事実である。まさに、シルバー民主主義である。
 私もその一人であり、大手不動産会社が管理するシニアマンションに入居して一年が経つ。それなりに快適な生活環境ではあるが、入居してからと入居する前とでは、この種のマンションに関するイメージが大きく異なることを再認識させられている昨今である。終の棲家として設定し 、そこに住所を移した時点で、選択肢がなくなる恐怖感もその一つである。このことは、事前にある程度は認識していたつもりではあるが、どうにか成るだろうと善意的に解釈し行動(シニアマンションへの転居)してしまいがちである。
 入居前後における乖離感は入居者側の選択手法の問題もあろうが、マンション管理の姿勢、管理システム、対応方法などに未熟さを感ずるのは私だけであろうか。一般的な賃貸住宅での貸し手と借り手の関係では解決できないシルバー世代の特質を踏まえた対応システムの構築、サービスの質の向上を期待したい。


12.シニアマンションにおけるサービスの質。
 さまざまのサービスをうたい文句に、今後ますます増えるであろう高齢者に向けてのシニアマンション経営をさまざまの分野の企業が参入してきている。しかし、シニアマンションにおけるサービスの質の良悪には相当の開きがある。それゆえ判断に迷うケースが多い。費用対効果、つまり顧客価値での判断はほとんど出来ないのが現状である。
 例えば、「医療施設が完備されているのでサービス費は割高です」をまともに受けてその気になっていると、ほとんどは期待が外れる。部屋の環境における「音」や「臭い」の問題も入居するまではほとんどわからない。買い物サービスや介護サービスも管理側の善意によるところが大きいので、極論するとその時の気分次第となる。。
 高齢者向けのマンションは賃貸が多い。その支払金額は、家賃、管理費、サービス費、光熱費など、を毎月支払う費用として換算するとおおよそ?万〜60万/月と相当幅がある。では、この費用に対する見返り、つまり入居者にあたえられる効用(サービス)は具体的にどのようなレベルかは入居前は勿論、入居後も明確にはならない。なんとなく住民の苦情がないことを良しとして運営されている。しかし、高齢者は苦情を言うエネルギィーが極端に低下しており、我慢をしている事実も見逃してはならない。長年の生活習慣、思考、対人関係などを踏まえての入居は、大なり、小なり苦痛である。入居者の潜在的ニーズをくみ取り、サービスの質として向上させる対応術が、マンション管理者側になければならない。このことが費用対効果(顧客価値)に準拠する経営形態であると思うのだが。
 この種のマンション経営、マンション管理はまだ緒に就いたばかりであり、試行錯誤の段階から抜け出せない現実がある。

13.シニアマンションにおけるサービスの質の改善手法 
サービスの質を高めるためには、まず入居者の構造的特質を分析する必要がある。入居者は、この種の住居に入居した時点でかなりの範囲において選択肢を失う。
 














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